こんにちは。
まきぴーです。
ニュージーランドでのロックダウンは8日目を迎えました。
突如と訪れたロックダウン宣言に街、特にスーパーマーケット内の人だかりといい、缶詰めセクションの品切れ、レジ待ちの大行列を唖然と見ていた頃が少し懐かしく感じてきました。
私は、2020年3月2週目の週明けである、3月9日(月)にワーキングホリデービザで、ニュージーランドに入国しました。しかし、私が搭乗した便の翌日から、ニュージーランド航空は成田ーオークランド間の便を減便することが決まっていました。
言い換えると、私は減便などの影響を受けない最後の日に「普通に」飛行機に乗ることが出来た搭乗者のひとりでした。
何とか入国することができたとほっとしたのも束の間、自分が入国して7日後の、3月15日(日)深夜23時59分から、すべての入国者(一部南太平洋の島国を除く)の14日間の自主隔離を求める措置を導入しました。
しかし、観光客が自主隔離を順守しない行為が多発し、3月18日(木)に行われた首相会談では、3月15日(日)以前に入国し、入国から2週間経っていないすべての入国者に対しても、自主的に自主隔離を求めるようジャシンドラ・アーダーン首相は声明を出しました。
また、時系列が前後しますが、3月16日(月)には、ニュージーランド航空が3月30日~6月30日の間、成田ーオークランド間のフライトを運休すると発表がありました。
3月19日(金)には、ニュージーランド政府は、同日深夜以降、すべての外国人の入国を禁止すると発表しました。
一刻一刻と制限措置が厳しくなり、3月22日(月)午後1時頃、首相の記者会見があり、そこで48時間以内にロックダウンを行うと宣言がありました。
私は当時、ニュージーランドの免許切り替えのために、オークランドCBD(以下、city)内のHobson streetに位置する、AAという保険会社の前で列を作っていましたが(1度に2名ずつしか入店出来なかったため)、その旨をルームメイトからもらった電話で知りました。
恐らくその情報を生で見ていた人がいたからでしょうか。
Cityのcountdown前では、普段ではあり得ないような行列と入場制限がかかっていました。
実は、AAに行く前に、パスポートと免許証をコピーするために、Cityのcountdownが入っているビルの2階のwarehouse stationaryに立ち寄りましたが、その時は何で行列ができているか分かりませんでした。が、その友人からの一報により、その理由が分かりました。
友人は首相の記者会見を見て、ロックダウンの前に実家に身を寄せることを決めていました。しかし、同時に、外国で一人で暮らしている私のことをとても気にかけてくれ、私も一緒にその友人の実家に身を寄せることを提案してくれました。
しかし、私は、当時そこまで事態を深刻に受け止めておらず、引き続き、studioで身を固めるつもりでした。
なので、他の人と同じように、countdown前の列の群衆のひとりとなり、入店を待っていました。
予想は外れ、列の一員になってから5分も経たないうちに、入店でき、それはそれでまた驚きました。
帰宅してからは少し休憩し、共有キッチンで夕食を作りました。そこにいた人が、思ったよりも少なかったのは、ロックダウン前に外食を楽しもうと考えた人が多くいたんだろうな、自分も最後に行っとけば良かったかな…と少し考えが脳裏に浮かびましたが、そのまま自炊。
さて、夜になったからゆっくりしよう、とパソコンの前で小1時間程経った頃でしょうか。
実家に帰っていたルームメイトから突然、「明日からうちに来て」とメッセージが。
「…なに、、!?(;´゚д゚`)」
と驚く自分がいました。
そこでコトの大きさが分かり、やっと、「ロックダウン」が意味していたものが分かったような気がしました。
そこから、一先ず1ヶ月分の荷物をキャリーケースに詰め、翌日の移動に備えました。
そして、翌日11時30分頃、ルームメイト迎えにきたので、そこで一先ず借りていたアパートを出ようとしたのですが、管理人に一言、1ヶ月退避する旨を伝えたところ、なんと良い方だったのでしょうか。
入居から1ヶ月経っていないのにも関わらず、緊急事態ということでもあったので、部屋を引き払うことを提案してくれました。「またロックダウンが終わって、ここに来たければまた来ればいいし…他の人も今日沢山出ていってるから部屋は有り余ってるだろうからね」という言葉を付け加えて。
幾分か考えた挙げ句、管理人が提案してくれたように、部屋から出ることにしました。
私たちの事態も急変。
体力をつけるためにも、一度カフェで昼食をとり、再びアパート引き返し、すべての荷物をパッキングします。
ルームメイトは、私がそれをしている間、一度実家に戻り、食料などを置きに行ってくれました。
ルームメイトが再び戻ってきてくれたのは約1時間後。それまでになんとか私はパッキングを終わらせることができ、退去届をだし、退散。
今こうして振り返ってみると、怒濤な1日をでしたが、こういう風に記せるだけとても身に詰まった出来事のようにしてなりません。